『天才!』

天才!  成功する人々の法則

天才! 成功する人々の法則

天才= outliers =統計上の外れ値=並外れた成功者(もしくは並外れた失敗者)たちの、成功(あるいは失敗)の理由を探った本。成功者とはビル・ジョイビル・ゲイツビートルズ、あとそれから、ユダヤ人移民の家に生まれて、ニューヨークの法律業界の伝統において好ましい出自ではなかったのに、アメリカで最有力な法律事務所の弁護士となったジョー・フロムなどなど。彼らの成功はけっして生まれ持った才能にだけ理由があるのではなくて、生まれた時代や生育環境によって積み重なった好機が、もともとはわずかだった凡人たちとの差を大きなものにしたのだ、というのがこの本の前半の要旨だ。もちろん、成功のためにはなにより努力が必要だ。音楽でもチェスでも、どんな分野でも、世界レベルの技術の習得のためには1万時間の練習が必要だとされる。しかし、若いうちから「1万時間」もの練習ができたというのがすでに、生育環境などの好機なしにはありえないだろう、という理窟になっている。
たとえば、ビル・ゲイツの好機というのは大きく言って次の2点:IT長者たちの当たり年である1955年に生まれたこと*1と、十代半ばからコンピュータに触れられたこと(通っていた私立校にうまいぐあいにコンピュータが導入されたり、学校関係者の勤めていた会社でコンピュータを使わせてもらったり……)。
そして、本の後半では国や地域ごとの文化・伝統・慣習がどれだけ個人のふるまいや考え方、成功に影響を与えるかが語られる。2000年以前の大韓航空の航空事故の多さには権力格差の大きい(=上の立場の人間に異議を唱えることをためらいがちな)韓国の文化が関係しているとか、アジア人が数学に強いのは稲作の伝統によって培われた粘り強さのためだ*2とか、そういう話である。
さて、僕がいちばん興味深く読んだのは「天才の問題点」と題されたふたつの章だ。ここでは、IQ195 の頭脳という、才能という意味ではこれ以上ない才能を持ちながらも本人が望むような形ではちっとも成功できなかったクリス・ランガンという男が紹介されて、彼がなんで成功できなかったのかが分析される。その理由とは要するに、IQ が個人に与える影響は値そのものより、値がいくつかの基準を超えているかどうかにあるということ(IQ がある基準以上であれば、あとはその人のパーソナリティやクリエイティビティの方が成功への影響として大きいらしいということ)と、神童が好機を得るためには周囲の大人から協力を引きだすふるまいが必要なのだが、家庭環境のせいでランガンはそのふるまいを身に付けられなかったこと(だから周囲からさっぱり好機を与えられなかったこと)の二点だというのだが……。ふーむ。
成功者は自然に生まれるのではなく、社会から与えられた好機によって成功者となる。その知見をもとに、著者グラッドウェルの(そして訳者である勝間和代の)主張することは、「よりよい社会のために、すべての人々に好機を与えよ」。なるほど、では「よりよい社会」のよさとはなんだろう。それは、エピローグを読むかぎり、より多くの人がより充実した人生を送ることができる、ということになると思う。これは多くの人に受け入れられる主張だろう。
僕も賛成だ。とくに子どもは、自分の価値を周囲の大人に認めさせるふるまいが身に付けられるとよいと思う。そのようなふるまいを身につけることで、彼らは彼ら固有のよろこびに満ちた生を生きられるようになると考えるからだ*3

*1:かのジョブズも同年生まれ。1955年に生まれたことで、彼らは世界初のパーソナル・コンピュータ Altair 8800 が発売された頃にちょうど二十歳、コンピュータの新たな時代に打って出るにはぴったりな年齢だった。

*2:粘り強さや勤勉さと数学能力とが相関している事例:TIMSS(国際数学・理科教育動向調査)の長ったらしいアンケートの平均回答数の国別ランキングと、数学の成績の国別ランキングは一致する。ついでにいうと、そのランキング上位国というのは稲作の伝統がある国なのだ。

*3:永井均これがニーチェだ』の次のような記述を念頭に置いている。「もしその子供[世の中で流通する道徳に嘘を感じている子供]に対して、世の中が、つまり大人がなしうることがあるとすれば、それはむしろ政治的力量を身につける可能性を教えることだろう。自分の固有の生の悦びを社会の構成原理と矛盾しないものに(できるならその発展に役立つようなものに)鍛え上げるための政治的な力を身につけることを、教えるべきだろう。どんな奇異な悦びも、世の中と折り合いをつける道はどこかに残されている。その人がその悦びを世の中に認めさせることによって、世の中をよくする可能性さえある。それは、道徳的な力ではなく、むしろ政治的な力なのだ。」(30-31ページ)

『ぼくらはそれでも肉を食う』

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

ペット、肉食、動物実験などなど、人間と人間以外の動物との関わりについての本。とくに動物に対する人間の態度の一貫性の無さについて多くのページが割かれているが、著者ハーツォグはそれを批判し人々に道徳的一貫性を求めるのではなく、一貫性の無さも人間らしさだとゆるく認めるスタンスをとっている。
第一章は人間と動物の関わりを研究する人類動物学 Anthrozoology *1の紹介。人類動物学的な研究から三つの事例:イルカセラピー、飼い主とイヌは似るのかどうか、動物虐待と暴力犯罪の関連性。飼い主と犬とが似る現象は実際に認められ、その理由は選択説(人は飼い犬を選ぶとき自分に似た犬を選ぶ)が有力だそうな。
第二章で説明されるのは人間の動物について持つ様々な考え方。動物愛(と動物嫌悪)や社会動物学的な分類、擬人観(動物に対する心の理論)。また、この章ではサンデルの言及で有名なトロッコ問題の、犠牲者を動物に置き換えたバージョンが紹介される。(人間のみが関係するトロッコ問題に答える人々の直観は問題ごとに一貫しないのだが、動物が絡む場合「動物より人間を助ける」が原理となるという)。
第三章はペット愛について。ペットの人間化(ペット関連消費の増大)、ペットを飼うことで得られる利益、そもそもなぜ人はペットを飼うのか、進化論的に説明できるか?(完全に説明するのは無理そう)
第四章では人との関わりがとくに深い動物としてイヌが主題となる。人間になつきやすいキツネを選んで交配させていくと、世代を重ねるうちにどんどんイヌに似てくるらしい*2
第五章は動物に対する態度に性差はあるのかについて。男女によって動物の扱いが違うということはあまりない。ただし、極端な場合については別。動物に暴力を加えるのは男性が圧倒的に多いし、動物愛護運動に関与するのは女性が多い。また、「飼いだめ」(飼育できる限界を超えてたくさんのペットを飼ってしまうこと)してしまうのはほとんどが女性。
第六章は闘鶏とブロイラーの話。アメリカでは闘鶏は全ての州で規制されていて道徳的非難の対象であるけれど、軍鶏の扱いはブロイラーに比べてずっと丁寧だとか。
第七章は肉食について。菜食主義者は健康を害しがちで大変みたい。
第八章は動物実験について。実験に使われるのはネズミが多いので、ネズミについて多くのページが割かれる。
第九章はまとめとして、動物についての道徳的一貫性を保つのは大変だという話。「種差別」を非難するシンガーだって日常生活では妥協をするし、過激な動物解放テロリストたちだって標的にするのは主に(実験動物としてネズミより少数派な)霊長類を扱う研究者なのであり一貫性があるとは言えない。
直観と理性の倫理的ジレンマを考えるにあたって、『しあわせ仮説』のジョナサン・ハイトの研究への言及が多い。
イヌについてはサーペル『ドメスティック・ドッグ』が面白そうなんだけど、訳書はやたら高いし一般向けではないということかな。また、オオカミがなぜイヌになったかを説明するのに「自己家畜化」の仮説が紹介されていて興味深かった(イヌの「自己家畜化」説を提唱するコッペンジャーには邦訳文献なし)。「自己家畜化」といえば、人間は「自己家畜化する動物だ」みたいな言説がちょっと流行ったことがあったような……。
ナチスと動物―ペット・スケープゴート・ホロコースト

ナチスと動物―ペット・スケープゴート・ホロコースト

犬から見た世界―その目で耳で鼻で感じていること

犬から見た世界―その目で耳で鼻で感じていること

しあわせ仮説

しあわせ仮説

ドメスティック・ドッグ―その進化・行動・人との関係

ドメスティック・ドッグ―その進化・行動・人との関係

人類の自己家畜化と現代

人類の自己家畜化と現代

無痛文明論

無痛文明論

動物からの倫理学入門

動物からの倫理学入門

児童虐待と動物虐待 (青弓社ライブラリー)

児童虐待と動物虐待 (青弓社ライブラリー)

『ひきだしにテラリウム』タイトル一覧

年始に書いた『ひきだしにテラリウム』第11回「未来面接」についての記事に google検索「ひきだしにテラリウム」から見に来る人が多いみたいなのだが、あの記事は『ひきだしに〜』とも九井作品ともほぼ関係ない話なので(いや、僕のなかでは密接に関連しているんですよ)、『ひきだしに〜』の情報を求めて来る人には無意味だろう。なので『ひきだしに〜』の各話タイトルリストを作った。マトグロッソでの掲載は期間限定で、掲載分以前の話についてはタイトルすら載っていないので、最近『ひきだしに〜』を知り、前にどんな話があったのかタイトルだけでも知りたいという人には意味がある、かな。
あらためて説明すると、『ひきだしにテラリウム』はマトグロッソで連載されているショートショート漫画。マトグロッソイーストプレスが編集・運営をしているウェブ文芸誌で、そのいちばんの特徴は、 Amazon.co.jp 内の特定のページに貼られたリンクからしか閲覧することができない、ということだろう。その他のページからのリンク(たとえばこの段落の一文めの「マトグロッソ」のリンク)やアドレス手入力で matogrosso.jp を見ようとしても、 Amazon.co.jp のページへリダイレクトされてしまう。
マトグロッソ自体は週刊のウェブジンだけど、『ひきだしに〜』は二週間に一度の更新。一回の更新で1ページから7ページぐらいの漫画が掲載され、1話もしくは2話完結。内容は、現代の日本でただ会話をしている話から星間旅行が題材の SF まで、回ごと様々だけど、どの話にも根底にあるのはいわば「あるあるネタ」的感性だと言える。
以前、九井さんのブログで『ひきだしに〜』の単行本は2013年春頃に出ると書かれていたのだが、その記事はいまは消されてしまったみたいだ。でも、確実に単行本にまとまると思いますよ。版元はおそらくイーストプレス(『竜の学校は山の上』と同じ)でしょう。
以下のリストは、GoogleリーダーにキャッシュされたマトグロッソのRSSマトグロッソの公式 twitterから拾い出して作った。一行あらすじみたいなコメントも @Matogrosso_ の人が書いていたもので、ただし #1 と #22 だけはその話の一ページめの一コマからセリフを抜き出した。

  • #1「すれ違わない」2011/08/11
    • 「あたしのバカ ちょっとやさしくされたくらいで勘違いして」
  • #2「湖底の春」(前)2011/08/25
  • #3「湖底の春』(後)2011/09/01
    • 春を求めて雪深い森を行くひとりの男―
  • #4「TARABAGANI」2011/09/15
    • 食卓に、カニが上れば思いを馳せる――!?
  • #5「恋人カタログ」(前)2011/09/29
  • #6「恋人カタログ」(後)2011/10/13
    • これからの人生の中で出会う恋人候補を、 いま、すべて知ることができるとしたら―…?
  • #7「恋」2011/10/27
    • 気づけば彼を目で追っている、彼の姿が見えなければ不安になるのに近くにいると脈拍があがる。この感情は……
  • #8「かわいそうな動物園」(前)2011/11/10
  • #9「かわいそうな動物園」(後)2011/11/17
    • 檻の中の動物たちに、浮かぬ顔の飼育員たち…
  • #10「パラドックス殺人事件」2011/12/01
    • ひとりの男の犯行と、それを巡る人々の 論争の行方は如何に……!?
  • #11「未来面接」2011/12/15
    • 子供と大人は向き合う、 ただひとつの目的のために―…。
  • #12「龍の逆鱗」2012/01/19
    • 龍と共存する里山で、青年は何に触れるのか―…
  • #13「遺恨を残す」(前)2012/02/02
  • #14「遺恨を残す」(後)2012/02/16
    • とある惑星に向かうふたりの人間、 この訪問を終えた後、一体何が残るだろう……
  • #15「代理裁判」2012/03/01
    • 有罪か無罪か、それを決めるのは いつだって人間なのです……
  • #16「ノベルダイブ」2012/03/15
    • 小説のページをめくれば、違う世界に行ける。 そう、現実がどんな状況でも……
  • #17「記号を食べる」2012/03/29
    • 焼いても煮てもそのままでも、 美味しくいただける食材です。
  • #18「旅行に行きたい」2012/04/12
  • #19「ユイカ、ユイユイカ!」2012/04/26
    • 辛くても疎まれても、私は働く。すべてはこの国を守るため……
  • #20「ピグマリオンに片思い」2012/05/10
    • ――気持ちはいつも一方通行、そんな恋しかできないのなら?
  • #21「すごいお金持ち」2012/05/24
    • 向こうの島に見えるあのお城には…“すごいお金持ち”が住んでいます。
  • #22「語り草」2012/06/07
    • 「こないだ貰った花を水挿ししてたらこんなに育った」
  • #23「春陽」2012/06/28
    • 生後4ヶ月の「にんげん」の里親になった男性。最初は鳴き止まなかった女の子も次第に…
  • #24「秋月」2012/07/12
    • 機械仕掛けの家で何ひとつ不自由なく暮らす女性。「愛って何?」突如差し出されたこの問いに彼女は…
  • #25「かわいくなりたい」2012/07/26
    • 今日はあのひとデート…! 「かわいくなあれ」女の子は誰だって、鏡の前では魔法使い!
  • #26「ショートショートの主人公」2012/08/16
    • 人間誰しも主人公。けれど強烈な個性の両親のもとに生まれた末っ子の私は、いまだなんの主人公として生まれたのかわからぬまま…
  • #27「パーフェクト・コミュニケーション」2012/09/06
    • 行為自体はすごくシンプル、なのにすごく難しいのが「会話」というもの。ゲームセンターで働く青年も、会話に悩むひとり…
  • #28「遠き理想郷」(前)2012/09/20
  • #29「遠き理想郷」(後)2012/10/04
    • ここはとある中学校。来月の交流会の出しものは紙芝居。そのテーマを巡って、何やらディスカッションが行われていますが…
  • #30「すごい飯」2012/10/18
    • すげー飯おごってもらった! と興奮気味に語る友人。「まず 石の上に乗ったゴムみたいな物にくるまれた何かに…」すごい形容詞が次々と飛び出し…
  • #31「スペースお尺度」2012/11/01
    • 広大な宇宙の尺度で考えたら、俺の悩みってなんて小さい…! 人生の色々に行き詰り、ふらっと入った科学館で太陽系模型を衝動買いした主人公は…
  • #32「生き残るため」2012/11/15
    • 進化を繰り返し、長く歴史を生き延びてきたとある生物。何度も滅亡の危機を乗り越えてきた彼らでしたが…
  • #33「こんな山奥に」2012/11/29
    • 山あいの辺鄙な所に、いつの間にかできていた食堂。ミックスカツ定食はきつね色でおいしそう。しかし他のお客さんたちの会話がどうにも気になり…
  • #34「夢のある話(前)」2012/12/13
  • #35「夢のある話(後)」2012/12/20
    • 12月になると俄かに慌ただしくなる社内。そう…ここはサンタクロース派遣業の最大手企業の日本関西支社なのです!
  • #36「未来人」2012/12/27

追記(2013/02/21)

ひきだしにテラリウム

ひきだしにテラリウム

というわけで書籍化されます。

接続詞・疑問符・引き算

わかりやすい文章を書くためには接続詞を意識するとよいらしい。しかし野矢茂樹の『新版 論理トレーニング (哲学教科書シリーズ)』では論理的な文章を考えるにあたって、文と文との関係を表わす接続詞から話を始めている。つまり古賀史健はcakesの連載の第二回めで、接続詞を意識するための方法として「他人の文章の接続詞を考える」というゲームを提案している。だから吾輩は猫である』や『走れメロス』などの名作文学からひとまとまりの文章を取り出して、その文と文とのあいだに入る適切な接続詞を考えることで、接続詞についての考えを深めようと言うのだ。

古賀史健はcakesの連載の第6回めで、文章を説得と納得の2つに分類している? 書き手が読み手へ一方的に主張をぶつけるような文章は説得であり、読み手が自分から書き手へ歩み寄った文章は納得された文章なのである? そして、文章によって読み手を動かすためには、読み手を説得する文章ではなく、読み手に納得される文章であることが望ましい? さて、納得してもらうためには読み手に当事者意識を持ってもらわなければならない? では読み手が当事者意識を持って読む文章とはなにか! それは書き手から読み手へ疑問や提案が投げかけられる文章である? つまり「?」のついた文が含まれた文章だ? また、書き手の主張とは「!」の付いた文だ? 読み手に納得してもらうためには、「?」によって読み手を文章に巻き込み、自分の「!」を受け止める準備してもらわなくてはならない!?

古賀史健のcakes連載の9回めには、文章は引き算によってつくられなくてはならないということが書かれている。なぜ文章を書く際に引き算をしなければならないのだろうか? そして、なぜ自宅での筋トレは続かないのだろうか? それは、書きたいことをすべて書いてしまっては、文章のもっとも重要なポイントが伝わりづらくなってしまい、結果が見えにくいことがトレーニングのやる気を減退させるからだ。そして引き算をするために、文章を書き出すまえにこれから書くことをリストアップする工程が必要なのだという。また、腕立て伏せは英語でプッシュアップという。そしてこの工程でしなければならないことは、とにかく自分を疑うということなのだ。というのも、書き手は文章を書いているうちにどうしても主観的になってしまう。つまり、主張のぼやけた文章や結論を見失い迷子になった文章を書いてしまいがちだ。だから客観的な目でこれから書くことをチェックする作業が必要なのだ。つまり、自重を利用したトレーニングも、継続すれば効果はバカにしたものではないのだ。Be strict. 明日の筋肉は今日の汗によってつくられる。

コメント

推敲しているあいだに頭がおかしくなりそうになったので、いっかいアップします。つぎはもっとうまくめちゃくちゃにしたいです。
どうでもいいけど、『論理トレーニング』は一年以上まえに、実際に手を動かして問題を解きながら「否定」の章あたりまで読んだはずなんだけど、なんやかんやあってそこで放り出してしまったうえ、いまや内容をほとんど覚えていないことがわかった。もう一度取り組んでみたい気持ちはあるけど、また放り出しそうでなかなか手がつかないのだった。

(500) Days of Lefty in the Right

quickdead2012-11-17

妹が『寄生獣』を読んだことがないと言い出したので、改めてその面白さを説明した。そして、自分もまた長らく読み返していなかったことに気付き、読み返してみた。やはり面白い。今はアフタヌーンKC版の6巻まで読み終えた。
ところで、いま私はコンピュータの壁紙を『LOOPER/ルーパー』のサイトで配布されているものにしている。この壁紙の、髪型をオールバックにしている JGL を見て、ハリウッド版『寄生獣』(長らく製作中と噂されている)のシンイチを演じる役者は彼がいいなあと思った。
そしてシンイチの父親は RDJ がいいなあと思った。嘘。俳優を三文字略語で呼ぶのが面白かっただけです。後藤は JCVD かなあ。思いついた俳優を適当に書いてます。略を戻せない人はぐぐってください。
あと田宮良子(田村玲子)はアニメ化されたらぜったいに榊原良子ボイスのキャラだよなと思った。これはほとんどの読者が考えることではないでしょうか。

インド映画トップクラスの予算でも、リンカーン吸血鬼ハンター映画の1/3ぐらいだったりする

ラ・ワン [DVD]

ラ・ワン [DVD]

Garm WarsVFXを手がけるIntelligence Creatures が最近関わったインド映画『ラ・ワン』が面白そう。仮想現実ゲームを題材にしているみたいなので(でもすぐ現実に来ちゃいそうだけど)、ゲーム内の仮想空間の場面を観ると『ガルム』の画がどういう雰囲気になるか推し量れるかも。
8月から順次全国公開していたみたいだけど、これからだと沖縄しかないし、私が劇場で観られる機会はないなー。上記の通りソフトは11月末発売。TSUTAYAレンタルは12月7日

『ガルム』をI.Gと共同製作する The Nakamura Group Advantage は、Fangs of War という映画も製作しています。この映画、吸血鬼でナチな映画みたいです。いいですか、吸血鬼でナチです。
『ガルム』『戦争の牙』両方の脚本を書く Geoffrey Gunn の作品のうち、日本で観られるのはたぶん以下のものだけ。

アイランド [DVD]

アイランド [DVD]

TSUTAYAで借りられます。私はまだ観てない。

『JORGE JOESTAR』

JORGE JOESTAR

JORGE JOESTAR

『恥知らずのパープルヘイズ』『OVER HEAVEN』につづく、「vsジョジョ」競作のアンカー。西尾維新『OVER』を読んだとき、『ジョジョ』1部から3部までの裏設定を構築しようとする深読みを書いているにとどまり、その読みの面白さ自体はさておいて、本来ならそこからさらに「小説」が書かれなきゃならないんじゃあないか、などという感想を抱いたが、『JORGE JOESTAR』にもまたそういう部分がある。ただ『JORGE』には《ジョージ・ジョースター》がふたり登場するという仕掛けがあって、それが単なる裏設定の羅列になることから救っているように思う。また、あのジョナサンを父に持ちあのジョセフを息子に持つジョージ(回りくどいな)の方の物語では、「吸血鬼や波紋戦士」と「名探偵」がいる世界の〈もう一つの歴史小説〉みたいな味わいになっている部分もあり、といっても舞城なんだからキャラクターのセリフや内語はまったく現代日本口語なのだが、それでも舞城の新機軸として楽しかった(二十世紀初頭のイングランドなんていう現代日本から離れた舞台設定は、『ジョジョ』のノベライズという機会でもなければ舞城は手を付けなかったと思う)。
そして、《ビヨンド》《ウゥンド》《バウンド》などと、『ジョジョ』でおなじみの《スタンド》設定を越え出る超能力概念が次々登場するところは、舞城のJDCトリビュート作品である『九十九十九』で、清涼院流水の書く小説が《流水大説》から(《述べる主》などの過程を経て)《意味わからせてやらねー世》になっていくというくだりを思い出した。ここには、舞城独特の批評精神/ジョークの冴えを感じる。しかし、『九十九十九』の《意味わからせてやらねー世》がセリフで触れられるだけの、本当にちょっとしたジョークなのに対して、『ジョージ』の「超能力概念のインフレ」にはその概念内部での具体的な超能力やそれを使うキャラクターの設定があり、物語の展開にも絡む。この違いはなんだろうか。「リアルモーニングコーヒー」という映像作品のためのアイディア出しマラソンみたいな企画をやっていたところから見ても、舞城には「設定魔」なところがあって、それがこういう機会に迸り出るのだろう。僕は舞城のそういうところが好きだ。
さらに、「超能力バトルもの」として面白かったのは、中盤に、荒木飛呂彦の好きそうなたぐいの、しかし『ジョジョ』が十何部まで続いたとしてもちょっとありえなさそうな、「閉鎖空間での戦闘」があったことだ。ここだけではなく、もう一人の《ジョージ》の直面するシチュエーションはすべて「絵にするのが無理そう」なものばかりで、こういったところはノベライズならではだろう。上遠野浩平の『恥知らず』が『ジョジョ』3部から5部前半までの「スタンドバトル」の折目正しいアップデート版だとすると、舞城は6部以降の荒木のイマジネーションをさらに暴走させることで荒木に対抗しようとしている。
そういった企てはよいし、キャラクターたちの(改変を含めた)描き方も嫌ではないのだが、しかし物語の展開には納得できないところがあった。というかそれはもう序盤からひっかかる。たとえば、二枚の世界地図の重ねあわせるのは、あれは経度はどうなっているのかなどと思う。さらに、空気があるところで無限に加速されてもと思う。そして、最終的に、物語の辻褄があっているのかどうかもよくわからないし確かめる気にもならない。もう、へたれなジョージと、うる星のラムちゃんみたいなリサリサとがイチャイチャしているだけでよかったのに……と思う。もうひとりの《ジョージ》とかいらねえよ。なんだ《ビヨンド》って。ばかじゃねえの。
ともあれ、ところどころひっかかりながらも怒濤の展開にはページをめくる手は加速させられる一方だったし、ジョージとリサリサのイチャイチャだけではなくて別のジョジョカップルのイチャイチャも読めたのはよかった。文字を読むスピードが遅くて読解力も低い、そのため(暇人だし、時間コストは安いものの)ほんらい小説から効用*1を得るのに向いていない僕にとって、この『JORGE JOESTER』は数少ない「読んでよかった」小説のひとつだと言える。

*1:小説の効用分析については『たかがバロウズ本。』8章2節3項を参照のこと。