接続詞・疑問符・引き算

わかりやすい文章を書くためには接続詞を意識するとよいらしい。しかし野矢茂樹の『新版 論理トレーニング (哲学教科書シリーズ)』では論理的な文章を考えるにあたって、文と文との関係を表わす接続詞から話を始めている。つまり古賀史健はcakesの連載の第二回めで、接続詞を意識するための方法として「他人の文章の接続詞を考える」というゲームを提案している。だから吾輩は猫である』や『走れメロス』などの名作文学からひとまとまりの文章を取り出して、その文と文とのあいだに入る適切な接続詞を考えることで、接続詞についての考えを深めようと言うのだ。

古賀史健はcakesの連載の第6回めで、文章を説得と納得の2つに分類している? 書き手が読み手へ一方的に主張をぶつけるような文章は説得であり、読み手が自分から書き手へ歩み寄った文章は納得された文章なのである? そして、文章によって読み手を動かすためには、読み手を説得する文章ではなく、読み手に納得される文章であることが望ましい? さて、納得してもらうためには読み手に当事者意識を持ってもらわなければならない? では読み手が当事者意識を持って読む文章とはなにか! それは書き手から読み手へ疑問や提案が投げかけられる文章である? つまり「?」のついた文が含まれた文章だ? また、書き手の主張とは「!」の付いた文だ? 読み手に納得してもらうためには、「?」によって読み手を文章に巻き込み、自分の「!」を受け止める準備してもらわなくてはならない!?

古賀史健のcakes連載の9回めには、文章は引き算によってつくられなくてはならないということが書かれている。なぜ文章を書く際に引き算をしなければならないのだろうか? そして、なぜ自宅での筋トレは続かないのだろうか? それは、書きたいことをすべて書いてしまっては、文章のもっとも重要なポイントが伝わりづらくなってしまい、結果が見えにくいことがトレーニングのやる気を減退させるからだ。そして引き算をするために、文章を書き出すまえにこれから書くことをリストアップする工程が必要なのだという。また、腕立て伏せは英語でプッシュアップという。そしてこの工程でしなければならないことは、とにかく自分を疑うということなのだ。というのも、書き手は文章を書いているうちにどうしても主観的になってしまう。つまり、主張のぼやけた文章や結論を見失い迷子になった文章を書いてしまいがちだ。だから客観的な目でこれから書くことをチェックする作業が必要なのだ。つまり、自重を利用したトレーニングも、継続すれば効果はバカにしたものではないのだ。Be strict. 明日の筋肉は今日の汗によってつくられる。

コメント

推敲しているあいだに頭がおかしくなりそうになったので、いっかいアップします。つぎはもっとうまくめちゃくちゃにしたいです。
どうでもいいけど、『論理トレーニング』は一年以上まえに、実際に手を動かして問題を解きながら「否定」の章あたりまで読んだはずなんだけど、なんやかんやあってそこで放り出してしまったうえ、いまや内容をほとんど覚えていないことがわかった。もう一度取り組んでみたい気持ちはあるけど、また放り出しそうでなかなか手がつかないのだった。