『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』

人類最大にして最強の敵「めんどくさい」(by古谷実)。あるいは「本気出せばすぐできるんだから」「まだ余裕あるし、明日からやればいい」。そして「集中するためには、まずあれをやっておかないとな」。さらに「これが最後の一回、これをやり終えたら今度こそ取りかかろう」。
そして訪れるしめきり。守られない約束。なかったことになる抱負。でっちあげられたレポート課題。続かない筋トレ。増えていく積読本。更新されないブログ。SNS疲れにもかかわらず果たせないSNS断ち。
だらだら。めそめそ。ぐずぐず。
先延ばし。

ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか

ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか

邦題である「ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか」という問いの答えは、第3章で神経生物学的に説明される。要するに、私たちの脳が「ありあわせ」の材料でつくられているからなのだ。そのため、長期的なゴールを達成するための意志を司る前頭前野は、反射的に働く辺縁系によって圧倒されてしまうことが多い。つい目先の誘惑に屈してしまいがちだ。その結果「意志と行動のギャップ」が生まれ、「自分にとって好ましくない結果を招くと知りながら、自発的にものごとを延期すること」である先延ばしが発生するのだ。

脳はあり合わせの材料から生まれた―それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ

脳はあり合わせの材料から生まれた―それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ

しかし辺縁系はけっして有害無益な部位ではない。辺縁系の衝動的ですばやい判断は人類にとってもつい最近(農業をはじめるようになった、今から9000年ほどまえ)までは、生き延びるために有益なありがたい進化の産物だった。でも誘惑が満ちあふれるこの現代社会において、前頭前野をフルに使って生きなくてはならない私たちは、どうやったら先延ばしをしないでいられるの?
その答えも本書に示されている。しかしそれを見るまえに、この本の原題である Procratination Equation すなわち「先延ばし方程式」に触れておこう。第2章で登場するこの方程式は、上述した神経生物学的メカニズムを(行動)経済学的な変数を用いて単純な数式に置き換えたものだ。方程式は下記のとおり。
{\huge \mathrm{Motivation} = \frac{\mbox{Expectancy \times Value}}{\mbox{1 + Impulsiveness \times Delay}}} *1

この式は、ある課題へのやる気(Motivation)についての式だ。私たちは、成し遂げられる見込み(Expectancy)と成し遂げたときのご褒美(Value)の高い課題に対して強いやる気を抱く。けれど、やる気を左右するのはこの二つの変数だけではない。時間という変数がある。課題をやり終えるまでの時間や、やり終えてからご褒美を得られるまでの時間(Delay)が長ければ、それだけやる気は割り引かれてしまう。また、衝動性(Impulsiveness)が強い人はご褒美を手に入れることができるまでの時間差に敏感に反応してしまう……つまり、時間差によってより大きくやる気を割り引いてしまう。
たとえば、ある課題に対して同じだけの価値(Value)を見積もっていて、その課題をやり遂げる自信(Expectancy)も同じだけ持っている二人がいるとしよう(もちろん、締め切りまでの時間も同じ)。でも、片方の人の衝動性(Impulsiveness)がもう一人より二倍強かったら、衝動的なその人のやる気はもう一人の半分でしかない。
課題へのやる気がある閾値(たとえば、目先の誘惑へのモチベーション)以上になると、人は課題に取り組みはじめると考えられる。そして、価値の見積もりや成功する見込みが変わらなくても、課題の締め切りが近づきさえすれば(方程式の Delay が小さくなれば)、課題へのやる気は高まる。上の例の二人が取り組みはじめる閾値を同じくするなら、さほど衝動的でない方の人が課題に取り組みはじめたとき、衝動性の強い方の人はまだ誘惑に屈したままということになる。

さて、この方程式を眺めてわかるのは、やる気が上がらなくて課題に取り組むことをぐずぐずと先延ばしをするというとき、次の3つの理由が考えられるということだ。

  • 課題をやり遂げる自信がない(Expectancyが低い)
  • 課題に価値を感じられない(Valueが低い)
  • 衝動性が強くて目先の誘惑をより高く評価しがち(Impulsivenessが高い)

第2章の冒頭に、あなたがどの理由で先延ばしをしがちなのかを診断してくれる簡易的なテストが掲載されている。ちなみに私は課題に価値を感じにくく、かつ衝動性が強いために先延ばしをしてしまうタイプでした。
そして本書の第7、8、9章で、やる気を高めて先延ばしを克服するためのアドバイスが理由別に与えられる。第7章は目標を達成する自信がない人のためのアドバイス。第8章では、課題に価値を感じられない人が課題それ自体を有意義に感じられるようになる工夫が紹介されている。第9章のテーマは、先延ばし人間が衝動を管理するためのテクニックだ。

ここでは、第9章に書かれている先延ばし対策をいくつか抜き出してみよう。衝動を管理する方法は大きく分けて次の3つ。

  • プレコミットメント(欲求は小さいうちにあらかじめ満たしておく。さらに、誘惑に屈した場合の自分への罰をまえもって用意する)
  • 注意のコントロール(誘惑の感じ方を変える。そして、周囲を整理整頓し、気を散らす刺激の代わりに、望ましい行動を生じさせるきっかけを用意した環境をつくる)
  • 最終的なゴールを具体的なサブゴールに細分化する、ゴールを目指す行動を習慣化する

気を散らさないような環境をつくる方法として、具体的にはメーラーのメール着信通知を切ってしまうことが奨められている。逆に、望ましい行動のきっかけ(心理学用語で「キュー」)を用意するというのは例えば、公共料金の支払いを先延ばししがちなら、目につきやすいところに請求書を貼っておくことだ。
そして、そこでは絶対に仕事しかしないという場所を決めるのも、その場所自体を仕事に集中するキューにすることだ。気分転換や休憩は必ずその場所から離れて行わなくてはならない。また、仕事用のコンピュータと息抜き・娯楽用のコンピュータをそれぞれ1台ずつ用意し、それぞれのマシンをそれぞれの行動のキューにするのも良い。
また、「行動の習慣化」にも場所の指定が重要だ。習慣はいちいち考えたり意志の力を使ったりせずに行動するようになることだが、習慣を身につけるためには、行動する場所と時間を決めてしまうのが有効なのだ。さらに、行動する時間と場所を決めたこと(「毎週土曜日の朝食後、ガレージの掃除をするぞ」)を言葉にすると、実際に行動する確率が高まるのだという。

この本では、上で挙げた他にも数多くの先延ばし対策が提案されている。先延ばし人間は往々にして、先延ばし対策を実践してみること自体を先延ばしにしがちなわけだが、そういったメタ先延ばしへの対策も考えられている(先延ばしをもって先延ばしを制す!:pp.208-11およびpp.246-7)。それに、第5、6章で記述される「先延ばしによる個人的・社会的損失」は読んでいておもしろい。既存の先延ばし研究へのリファレンスである注釈も豊富だ。読み込む価値のある本だと思う。