アイ・マイ・メッセージ

コーチングやアサーティブネスなどのコミュニケーション技法の分野に、アイ・メッセージ(I-message)というテクニックがあります。アイ・メッセージとは、「私は〜」というふうに「私」を主語にした感情や希望の表明のことです。
アイ・メッセージは他人を防衛的にすることなく聞く耳をもってもらいやすい、というような説明がされているのですが、アイ・メッセージの効用はもっと基本的なところにあるのではないかと僕は感じています。つまり、アイ・メッセージは自分自身の感情に焦点を合わせた発言なので、それを言っただけでも(問題が解決するまえでも)気持ちが晴れやすい、スッキリしやすい、という効用があるのではないかと思うんですね。
アイ・メッセージは、他人に行動の改善を要求したいときや、問題解決のための議論をするときなどに使うことが奨められています。たとえば、あなたの部下か同僚があなたの会議に遅刻してきたとしましょう。そのとき遅刻してきた当人に対して次のように言って、行動の改善を要求するのがアイ・メッセージです:「会議の出席者が遅刻すると、全員揃うまで会議を始められないために私は腹が立つんだ。私は出席者に遅刻をしないようにしてもらいたいんだ」「私は君が遅れてくるあいだずっと不安だった。君に今日の会議の時間を伝え忘れていたかもしれないと考えたからだ。私は君にできれば遅刻をしないようにしてほしいし、遅刻する場合でも、会議の時間のまえに、あとどれくらいで到着するかを私に連絡してくれないか。そうすれば、私は無駄な不安を抱かずに済むからね」
アイ・メッセージはユー・メッセージと対比されます。ユー・メッセージは「君は」「おまえは」を主語にした発言です。たとえば「君は今日遅刻してきたな。(君は)最悪だよ。君はだらしない人間なんだな」というような言い方ですね。
ユー・メッセージは相手の人格や内面に焦点を当てます。「君は今日遅刻してきたな。(君は)最悪だよ。君はだらしない人間なんだな」というユー・メッセージでは、後ろ二つの文によって話し手の感情が表明されているようにも見えます。しかし話し手にとって、相手が最悪でだらしないやつであるということが本当に言いたかったことなんでしょうか。
多くの場合、そうではない、と思います。ここで話し手が相手の遅刻を責めているのは、相手の遅刻によって、定時に会議が始められないなどの迷惑を被ったとか、もしくは自分が相手へ約束の時間をちゃんと伝えたかどうか不安になったとか、そういう悪い影響があったからのはずです。そして、正にその悪影響の中身や、悪影響に対する自分の感想こそがここで本当に言いたかったことなのではないでしょうか。また、相手がだらしないやつかどうかの判断より、相手のふるまいによって自分に生じた悪影響のほうが自分にとって確かなものだとは言えないでしょうか。
本当に言いたいことを言わないのであれば、実際に言ったことがどんなにあけすけであからさまな暴言だったとしても、けっきょく、言いたいことを我慢していることになります。攻撃的で強い言葉は、それが本当に言いたいことではなかった場合でも、それこそが自分の本音なのだと自分に勘違いさせてしまいがちです。本当に言いたいことを言うためにこそ、攻撃的な言葉は使わないほうがよいという判断がありえます。
また、人間は確信のないことを口にするときには不安になります。たとえば、相手がどういう人間であるかというのは、けっきょくのところ、どこまで確かめたところで確信の持てないことがらです。実際、遅刻をしたから相手が最悪の人間なのだと、どれくらい本気でそう思えますか? その判断は絶対に疑えませんか? 思ってもいないことや確信の持てないことをくちばしるのは慎んだほうがいいのです。慎んだほうがいいというのは、単純に、精神衛生上にいいということです。
さて、アイ・メッセージは次のような構成になります。

  1. 改善してほしい相手のふるまい
  2. それによって生じた話し手への影響
  3. それに対する話し手の感想・評価
  4. 問題のふるまいの代わりにしてほしい行動

相手のふるまいやそれによって引き起こされた影響については、話し手の主観をまじえず、聞き手にも受け入れられるような形で客観的に述べることが重要です。問題となっているふるまいが何なのかについて、話し手と聞き手の間に共通の認識が得られていなければ、聞き手は自らのふるまいを省みることができないからです。生産的な話し合いをするためには、まず事実をベースにした議論の立脚点を作ることが必要です。
とはいえ、事実の確認をすればそれでいいというわけではありません。相手の行動を変えるには、話し手自身の評価を述べ、話し手から改善案を提出することが必要です。それに話し手の気持ちを正直に表明することは、話し手の気分にとって重要です。
会議の遅刻の例を離れて、次のような例で考えてみましょう。仕事から帰宅した女性を、家の居間でマンガを読んでいる小学生の息子が待っています。彼女はこれから夕食を作らなくてはいけませんが、シンクには洗いものが溜まっているので料理のまえにまずそれを片付けなくてはいけません。また、ベランダには洗濯物が干しっぱなしです。疲れ果てている彼女は、息子に対して次のように言うとします:「宿題もしないで、洗濯物も取り込んでくれもしないで、ずっとくだらないマンガを読んでるのね。それならそれでいいですけど、でも大人になってもずっとそうやって生きていけると思ってるの?」
典型的なユー・メッセージですが、宿題もせず洗濯物も取り込まずマンガを読んでいる、という点については事実で、その点について息子から反論はできません。また、いまマンガを読んでいることが問題のふるまいなのだということについては、この言い方でも息子は理解するはずです。それでもこの発言によって、母親の望むとおりに息子のふるまいが改善されるとは思えません。何を改善すべきかが伝わったとしても、どう改善するのかについては示されていないからです。しかしそれより重要なことは、この発言によって彼女の気分が少しでも良くなるかといえばそんなことはなく、むしろよけいに気分を沈ませるはずだということなのです。
相手に反論を許さない事実だけを並べて、最後に皮肉めいたパンチラインを付け加えるという話法を、僕たちは採用しがちです。ものごとを良いほうに導くことはないにせよ、そういう言い方をすることがせめて心の慰みになると考えるからです。でも結果は逆です。その手の発言は、気を晴らすどころかむしろ滅入らせます。
それはなぜでしょうか。まず、こういうときの皮肉は的を外しがちだということです。相手から一本をとることができないばかりではなく、自分の言いたいことを言うことにもなっていません。上記の例で、マンガばかり読んでいる息子の将来について本当に彼女はなにか言いたかったのでしょうか。違うはずです。このときの彼女が不満を抱いているのは、疲れ果てた状態で家事に取り組まなければならない自分と、手伝うそぶりも見せないいまの息子に対してのはずです。そして彼女が息子へ本当に言いたいこととは、少しでも自分を手伝ってほしいということなのではないでしょうか。上でも述べたように、本当に言いたいことを言わないのなら、ほかにどんなことを言ったとしても、それは言いたいことを我慢している状態なのです。
また「相手に反論を許さない事実」を並べているつもりでも、その事実が主観に汚れている場合も多いです。上記の例でいえば、「くだらないマンガ」という部分が母親の主観に汚れているといえます。息子としてはここには反論したいところではないでしょうか。そしてもし反論したとすると、母親の怒りをよりかき立てることになります。でもそもそも、そのマンガがくだらないかどうかなんてこのときどれほど問題なんですか? そのマンガは彼女自身が息子に買い与えたものだったり、少なくとも彼女が息子に買うことを許可したようなマンガだったりするかもしれません。あるいは、時には(余裕のある休日などには)彼女も息子から借りて読むようなマンガだったりするかもしれません。もしそうだとすると、母親は単に主観に汚れた事実を述べただけではなく、本気で抱いてもいない主観によって事実を汚していることになります。上で触れたように、思ってもいないことや確信の持てないことをくちばしるのは精神衛生上よくありません。
この例において、母親が息子に望む行動が洗濯物を取り込むことだとするならば、アイ・メッセージは次のようになると思います:「わたしは、あなたがずっとマンガを読んでいるのを見ると腹が立ってしまうの。わたしは仕事から帰ってきてからも家事をしなきゃいけないから。わたしはできればあなたに手伝ってほしいと思ってるんだけど、洗濯物を取り込んでくれる?」
冒頭のアイ・メッセージの例もそうですが、ちょっと堅苦しいですね。これが絶対の正解だとはとても思いません。けれど、こういうふうな物言いをしたとき、彼女の気分が不必要に沈むことはないはずです。
長々と書いてきましたが、今回僕が言いたかったことは「本当に言いたいことを言え」「思ってもいないことを言うな」の二点です。そして、自分の本当に言いたいことを捉えるために、また、思ってもいないことを言わないために、アイ・メッセージの考え方は有用なのではないかということです。
他人に行動を改めてもらうというときには、アイ・メッセージだけではなく他にもテクニックが必要です。たとえば、すでに相手がよりよい行動についての知識や技術を持っていて、あとは相手自身にその知識や技術を使うことを決断してもらうだけだ、というとき、下記の本の「態度スキル」の項が参考になると思います(この本では、体を動かすことの技術である「運動スキル」、考え方の「認知スキル」と並んで、「決断すること」が「態度スキル」と呼ばれています)。

いちばんやさしい教える技術

いちばんやさしい教える技術

また、下記の本では行動分析学の理論を用いて、自分や他人の行動を改善する方法が解説されています。
パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学

パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学

以上の本についても後日記事を書くかもしれません。ともあれ、繰り返しになりますが、今回僕が考えたかったのは、問題解決の方法としてというより、他人との対話において気分よくいるための技術としてのアイ・メッセージについてなのでした。