『ぼくらはそれでも肉を食う』

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

ペット、肉食、動物実験などなど、人間と人間以外の動物との関わりについての本。とくに動物に対する人間の態度の一貫性の無さについて多くのページが割かれているが、著者ハーツォグはそれを批判し人々に道徳的一貫性を求めるのではなく、一貫性の無さも人間らしさだとゆるく認めるスタンスをとっている。
第一章は人間と動物の関わりを研究する人類動物学 Anthrozoology *1の紹介。人類動物学的な研究から三つの事例:イルカセラピー、飼い主とイヌは似るのかどうか、動物虐待と暴力犯罪の関連性。飼い主と犬とが似る現象は実際に認められ、その理由は選択説(人は飼い犬を選ぶとき自分に似た犬を選ぶ)が有力だそうな。
第二章で説明されるのは人間の動物について持つ様々な考え方。動物愛(と動物嫌悪)や社会動物学的な分類、擬人観(動物に対する心の理論)。また、この章ではサンデルの言及で有名なトロッコ問題の、犠牲者を動物に置き換えたバージョンが紹介される。(人間のみが関係するトロッコ問題に答える人々の直観は問題ごとに一貫しないのだが、動物が絡む場合「動物より人間を助ける」が原理となるという)。
第三章はペット愛について。ペットの人間化(ペット関連消費の増大)、ペットを飼うことで得られる利益、そもそもなぜ人はペットを飼うのか、進化論的に説明できるか?(完全に説明するのは無理そう)
第四章では人との関わりがとくに深い動物としてイヌが主題となる。人間になつきやすいキツネを選んで交配させていくと、世代を重ねるうちにどんどんイヌに似てくるらしい*2
第五章は動物に対する態度に性差はあるのかについて。男女によって動物の扱いが違うということはあまりない。ただし、極端な場合については別。動物に暴力を加えるのは男性が圧倒的に多いし、動物愛護運動に関与するのは女性が多い。また、「飼いだめ」(飼育できる限界を超えてたくさんのペットを飼ってしまうこと)してしまうのはほとんどが女性。
第六章は闘鶏とブロイラーの話。アメリカでは闘鶏は全ての州で規制されていて道徳的非難の対象であるけれど、軍鶏の扱いはブロイラーに比べてずっと丁寧だとか。
第七章は肉食について。菜食主義者は健康を害しがちで大変みたい。
第八章は動物実験について。実験に使われるのはネズミが多いので、ネズミについて多くのページが割かれる。
第九章はまとめとして、動物についての道徳的一貫性を保つのは大変だという話。「種差別」を非難するシンガーだって日常生活では妥協をするし、過激な動物解放テロリストたちだって標的にするのは主に(実験動物としてネズミより少数派な)霊長類を扱う研究者なのであり一貫性があるとは言えない。
直観と理性の倫理的ジレンマを考えるにあたって、『しあわせ仮説』のジョナサン・ハイトの研究への言及が多い。
イヌについてはサーペル『ドメスティック・ドッグ』が面白そうなんだけど、訳書はやたら高いし一般向けではないということかな。また、オオカミがなぜイヌになったかを説明するのに「自己家畜化」の仮説が紹介されていて興味深かった(イヌの「自己家畜化」説を提唱するコッペンジャーには邦訳文献なし)。「自己家畜化」といえば、人間は「自己家畜化する動物だ」みたいな言説がちょっと流行ったことがあったような……。
ナチスと動物―ペット・スケープゴート・ホロコースト

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犬から見た世界―その目で耳で鼻で感じていること

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しあわせ仮説

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ドメスティック・ドッグ―その進化・行動・人との関係

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人類の自己家畜化と現代

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無痛文明論

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動物からの倫理学入門

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児童虐待と動物虐待 (青弓社ライブラリー)

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