『天才!』

天才!  成功する人々の法則

天才! 成功する人々の法則

天才= outliers =統計上の外れ値=並外れた成功者(もしくは並外れた失敗者)たちの、成功(あるいは失敗)の理由を探った本。成功者とはビル・ジョイビル・ゲイツビートルズ、あとそれから、ユダヤ人移民の家に生まれて、ニューヨークの法律業界の伝統において好ましい出自ではなかったのに、アメリカで最有力な法律事務所の弁護士となったジョー・フロムなどなど。彼らの成功はけっして生まれ持った才能にだけ理由があるのではなくて、生まれた時代や生育環境によって積み重なった好機が、もともとはわずかだった凡人たちとの差を大きなものにしたのだ、というのがこの本の前半の要旨だ。もちろん、成功のためにはなにより努力が必要だ。音楽でもチェスでも、どんな分野でも、世界レベルの技術の習得のためには1万時間の練習が必要だとされる。しかし、若いうちから「1万時間」もの練習ができたというのがすでに、生育環境などの好機なしにはありえないだろう、という理窟になっている。
たとえば、ビル・ゲイツの好機というのは大きく言って次の2点:IT長者たちの当たり年である1955年に生まれたこと*1と、十代半ばからコンピュータに触れられたこと(通っていた私立校にうまいぐあいにコンピュータが導入されたり、学校関係者の勤めていた会社でコンピュータを使わせてもらったり……)。
そして、本の後半では国や地域ごとの文化・伝統・慣習がどれだけ個人のふるまいや考え方、成功に影響を与えるかが語られる。2000年以前の大韓航空の航空事故の多さには権力格差の大きい(=上の立場の人間に異議を唱えることをためらいがちな)韓国の文化が関係しているとか、アジア人が数学に強いのは稲作の伝統によって培われた粘り強さのためだ*2とか、そういう話である。
さて、僕がいちばん興味深く読んだのは「天才の問題点」と題されたふたつの章だ。ここでは、IQ195 の頭脳という、才能という意味ではこれ以上ない才能を持ちながらも本人が望むような形ではちっとも成功できなかったクリス・ランガンという男が紹介されて、彼がなんで成功できなかったのかが分析される。その理由とは要するに、IQ が個人に与える影響は値そのものより、値がいくつかの基準を超えているかどうかにあるということ(IQ がある基準以上であれば、あとはその人のパーソナリティやクリエイティビティの方が成功への影響として大きいらしいということ)と、神童が好機を得るためには周囲の大人から協力を引きだすふるまいが必要なのだが、家庭環境のせいでランガンはそのふるまいを身に付けられなかったこと(だから周囲からさっぱり好機を与えられなかったこと)の二点だというのだが……。ふーむ。
成功者は自然に生まれるのではなく、社会から与えられた好機によって成功者となる。その知見をもとに、著者グラッドウェルの(そして訳者である勝間和代の)主張することは、「よりよい社会のために、すべての人々に好機を与えよ」。なるほど、では「よりよい社会」のよさとはなんだろう。それは、エピローグを読むかぎり、より多くの人がより充実した人生を送ることができる、ということになると思う。これは多くの人に受け入れられる主張だろう。
僕も賛成だ。とくに子どもは、自分の価値を周囲の大人に認めさせるふるまいが身に付けられるとよいと思う。そのようなふるまいを身につけることで、彼らは彼ら固有のよろこびに満ちた生を生きられるようになると考えるからだ*3

*1:かのジョブズも同年生まれ。1955年に生まれたことで、彼らは世界初のパーソナル・コンピュータ Altair 8800 が発売された頃にちょうど二十歳、コンピュータの新たな時代に打って出るにはぴったりな年齢だった。

*2:粘り強さや勤勉さと数学能力とが相関している事例:TIMSS(国際数学・理科教育動向調査)の長ったらしいアンケートの平均回答数の国別ランキングと、数学の成績の国別ランキングは一致する。ついでにいうと、そのランキング上位国というのは稲作の伝統がある国なのだ。

*3:永井均これがニーチェだ』の次のような記述を念頭に置いている。「もしその子供[世の中で流通する道徳に嘘を感じている子供]に対して、世の中が、つまり大人がなしうることがあるとすれば、それはむしろ政治的力量を身につける可能性を教えることだろう。自分の固有の生の悦びを社会の構成原理と矛盾しないものに(できるならその発展に役立つようなものに)鍛え上げるための政治的な力を身につけることを、教えるべきだろう。どんな奇異な悦びも、世の中と折り合いをつける道はどこかに残されている。その人がその悦びを世の中に認めさせることによって、世の中をよくする可能性さえある。それは、道徳的な力ではなく、むしろ政治的な力なのだ。」(30-31ページ)