『臨場』

臨場 (光文社文庫)

臨場 (光文社文庫)

凄腕検視官をメインキャラクターに据えた連作短篇集。なんとなく買ってきてなんとなく置いていたのだが、なんとなく読み出したらなんとなく読み通してしまった。第一作めの冒頭、首つり自殺に偽装しようとする絞殺の手際や被害者が死体となっていく様子を淡々と書く文章に惹かれた。
しかし節が変わって主役の検視官が登場し、部下の眼から彼の人物が説明されるくだりの文章でちょっとがっかりしてしまう。内容というより、文章の雰囲気そのものがなんだか鼻についた。たとえば次のような文章。倉石というのが検死官の名前だ。

部内にも信奉者は多い。倉石が「土産」と称して現場に持たせる鑑識ネタでホシを挙げ、賞を手にした刑事は数知れない。検視の現場で、目から鱗の見立てに出くわした鑑識課員も相当な数にのぼる。それが次々と生徒になる。勝手に倉石を師と仰ぐ。夜廻り記者の間を縫い、教えを請おうと倉石の官舎を訪ねる熱心な若手が跡を絶たない。倉石は、そんな刑事や鑑識課員や記者連中までもそっくり座敷に上げ、酒を振る舞い、麻雀の卓を囲み、時には一同引き連れ夜の街に繰り出し気炎を上げる。店の女と深い関係になり、あわや刃傷沙汰の修羅場もくぐるが、そんなあれこれも琥珀の液体に混ぜこぜにして飲み干してしまっているようなところがある。「男も女も絡み合っているうちが花じゃねえか。くたばったらステンレス台の上でカエルの解剖にされちまうんだからよ」。

前半で連ねられる短いセンテンスはなんだか講談調で、時代小説にそのまま使えそうなリズムの文章だ。そして倉石には「終身検視官」「クライシス・クライシ」などと異名や二つ名が付けられていたりして、そういったところにはキャラクター小説(ライトノベル)と通底するものを感じる。こう書くからといって、エンタテインメント小説における、キャラクターを説明するのに効率的な(ものとして採用されているはずの)文体が嫌いだというのではないのだが、冒頭からはもっと違う雰囲気で話が進むことを期待していたのだ。だからこのような文章が短篇集全体の基調となっていることにけっこうがっかりしてしまった。
それでも一作めは視点人物(一ノ瀬という名前の倉石の部下)のおかれたサスペンスと謎解きの構成がかみ合っているように感じられて面白かった。さらに二作めでは地方新聞社の夜廻り記者の眼から事件が描かれていて、その視点の移し方によって警察小説というものの奥行きをちょっと感じた。しかし、三作めからは「警察を舞台にしたサラリーマン小説」というような要素が出てくるし、ひとつの話で扱われる事件が複数になり、それがとにかく謎(パズル)を投入することでページを稼ごうとしているように感じられて、楽しめなくなってしまった。むろん「仕事もの」として「次々事件が舞いこんでくる」という状況を描くのは常套だと思うし、あるいはリアリズムでもあると思う。また、次から次に事件を捌く倉石の能力の高さを明らかにすることでもあるだろう。だからページ稼ぎなどではないのだが、しかし複数の事件がパズル然と説明され、解決されることで、「気の利いた謎解きパズル」というもののバカバカしさがあからさまとなり、「人情話」だったり「サラリーマン小説」だったりする部分と乖離してしまっているように思えた(さらにいえば、「人情話」もまた別の形でバカバカしく見えてしまう)。そしてその乖離は、けっきょく倉石というキャラクターの魅力を損ねているように思える。
一作めは、倉石や一ノ瀬たちが検視をする場面に多くのページが費やされる。検視の対象となる変死体(頭で絞殺された女性)は、実は一ノ瀬の知己なのだった。その事実があるサスペンスを生み、また彼が死体を視るときの文章を複雑なものにしてもいる。つまり、一ノ瀬は死体を事件性を判定するための証拠として、物として視るのだが、それと同時にその死体とはよく見知っていた彼女そのものに他ならず、在りし日の記憶を想起させずにはいない。そして、死体を視る視線のこの二重性が、一作めの面白さを多く負っていると思う。しかし二作め以降、死体の描写に割かれる文字数は少なくなり、死体を視る視線が問題となることはほぼない。
この本では全篇に渡って倉石の視点がとられることはなく、彼に見えているものや考えていることが直に書かれることがない。その意図はわからないでもないが、同じ事件(パズル)が題材となるにしても、単なる物としての死体や事件現場が倉石の眼には別様に見えてしまう、そこのところを書いたほうがあるいは面白かったのではないかと思う。少なくとも僕はそれが読みたかったし、一作め冒頭の筆致からはそれが期待された。とはいえもちろん、いつの間にか読み通してしまったのだから、この短篇集が読みやすく面白いことは確かである。