厨房ずつ、房中術

敷き布団のためのシーツを新しくした。スーパーの日用雑貨コーナーでほとんど選択の余地なく買ったものだが、パッケージから出してみると思っていたよりてらてら輝くような布地で、寝るためのシングなんだから当然だがいかにも寝具っぽいサムシングを発している。今の一節を書きながらもいまのところ後悔はナッシングだ。羞恥の涙で枕カバーが濡れても明日洗うし。
ともかく、新しいシーツを布団の上に敷いたら部屋が寝室っぽくなってしまった。私の布団は万年床であるから、部屋も終日閨房となってしまうわけだ。
閨。ねや。閨房といったら、睦言とか交合とかが下に付かねば収まらない言葉ではないか。などと単語の字面から想像と股間を膨らませてしまうのはまるで中学生のようではないか。男子厨房に入らず、男子の心にこそ厨房があるのだ、いつだって。
そんな厨房in閨房にとって、新しいシーツの敷かれた布団はまるでいつもの万年床ではなく、他人のねぐらのようである。その上に座っているとなんだか背徳を感じてしまう。これが……あの人のいつも寝ている布団……と疑似的に興奮して枕をクンカクンカしたらいつも寝ている俺の臭いがくせえのなんのって。
枕カバー、やっぱり明日洗わなきゃ。