I Love 生活

暑くなっているからなのか、最近うんこが臭くて敵わない。って、以前は臭くなかったのかよという話だけど。臭くなかったよ!(臭かったよ)

バナナマンの日村さんは自分のうんこを直に見られないから、尻を拭いた後は尻の穴を手で触って便が残っているかどうかたしかめている、という話を以前、バナナマンのラジオで聴いたことがあるけど、その感覚はわからないでもない。妙に大量に出した後などは、流す前に視界へ入った時、便に対してちょっと引いている自分がいるのだ。大げさに言えば、その時目の前にあるのはある種の死(それも自分に関わる死)に他ならないのだから。

基本的に私は「自分が生きていること全肯定マン」だから、うんこがたくさん出たらむしろ「うっわー出たぜぇー」ってテンション上がってその量をしげしげと確認するようなところもあるのだが、同時に、毎日毎日排泄すること (=毎日小さな死に生の自明性を脅かされること)には不可解さを覚えもする。いや、便秘だから毎日は出なくてそれはそれで悩み。なんだこの話。

「生きることなど奴隷に任せておけ」というのは、まあ心持ちとしてはいいのだが生きることを完全なアウトソーシングにはできないし(してもいいけどしたらドッチラケだぜっていう)、だからむしろうんこを大事にしていくべきであるとか所詮はみんな糞袋なのだとかいうのもちょっと違って、といって言いたいのはバランスを取るべきだということではなく、そろそろ枠組みのアップデートが考えられてしかるべきなんじゃないのとかそういうことなのだが、それってどういうことなのだ?