オレとジャンプ

ところが今回、久しぶりにジャンプの隅々まで読むと、以前面白いと思わなかった「こち亀」が意外にも面白かったのです。

あるある。もう既にはてブした時にも「あるある」ってコメントしたけど、それでも足りなくてこうしてはてダで記事にするぐらいあるある。
ひさしぶりに読んだジャンプに掲載されてるこち亀ほど面白いこち亀はない。毎週読んでると、「こんなのに金払ってるのかよ」と思う(思った)くらいなのに。たまに読んでわかる長寿連載漫画の安定感。

今「長寿連載の功罪」みたいな話に筆が進みそうになったがやめておこう。それから、毎週読んでいても面白く感じられるこち亀というのがあって、つまりは(当然のことなんだけど)こち亀の一話一話にも出来不出来があるということで、そこから「読み手と書き手のテンションが作品の価値(?)に及ぼす影響」なんてお話も思いついたがこれもやめておこう。長く続いた連載漫画に、ひいては雑誌そのものに、いかに新規の読者を呼び込むか、という観点から、テレビアニメ化という商業展開の有効性については今更確認するまでもないか。武装錬金は連載終了後にアニメ化されるということで、やっぱり武装錬金という作品は『週刊少年ジャンプ』にとっていらない子だったのかなあ、などというネタも気が滅入るからやめよう。作品のチャプター分けや「新たな敵が……」展開は、パワーバランスや人間関係のリセットという作劇的な理由のみならず新規の読者が入りやすいようにという商業的要請によっても行われるのではないか(極端なのが、ようするにマガジンでのタイトルだけ変えて巻数リセットというアレ)、とかも、まあ、アレだよな。あ、新規読者呼び込み云々の観点では、デスノートのメディア展開は第2部開始前後にすれば良かったように思えるのだけど、それをしなかったのは作品そのものの完成度を高めたかったのか、あるいは制作の裏側では色々とゴタゴタがあったりしたのではないか、という勘繰りは寒い? 好きでしょ、寒い裏事情妄想。私は嫌いだけど。まあそんなんは 2ch でやってろという話か。はてなのブロガーはそういうのしない。はずだ。そうだ、セオリー(謎)としては、小学生の頃、なけなしの小銭で買ったジャンプは、どんなにつまらない漫画でも記事でも、それこそ「主人公がわからない」ぐらいのレベルで話の流れがわからない漫画でも、とりあえず隅から隅まで読んだよねえ、みたいな話が順当か。いや、中高生をターゲットにしているコミック雑誌が、昭和40年代生まれオッサンに面白がってもらおうなんて思ってないんだろうけどという一文を冒頭で記述しておきながら、そういう回顧話に流れず、「週刊漫画雑誌の取っ付きにくさ」というぐらいの話を(今の)少年ジャンプがつまらないわけとしてひとつの記事にしたえっけん氏のブロガーとしての手際を褒め称えることにしようか。やめよう。
月刊漫画雑誌を常食にしていて、たまに週刊漫画雑誌、それも新人からせいぜい中堅ぐらいの書き手が多いジャンプを読むと、絵が微妙に感じる話とか、そこから、週刊雑誌に連載する漫画家の大変さの話とかも、まあ、いいや。北海道の無人駅で夜を過ごした時に読んだジャンプ十数冊の話もよしておこう。これは武装錬金との出会いという文脈で語られるべき挿話。のはずなのだ。

という文章を悩み悩み書いている内に夜が明けて、「この内容を登録する」を押せぬまま日が暮れた。オレはブロガーではないのだろう。というような一文が付いたお陰で、余計に公開し辛くなるというその理由を、オレの心理を説明するにはもはや記事が長くなりすぎた。